痴呆性高齢者介護の現場において、望ましい介護の在り方というのが近年変化してきたように見られます。そもそも非常に長い間、痴呆性高齢者に対してどういった介護が望ましいのかというのは、置き去りにされてきた問題であると思います。痴呆性高齢者の介護の現場では、同じ失態を繰り返す高齢者に、介護する側は同じ注意、もしくは、同じ叱責を繰り返す、また痴呆性高齢者を部屋に一人きりで閉じ込めるなどの方法をとるしかないのが実態であったと思います。また、そうした方法をとる以外に、痴呆性高齢者介護に当たる側に、有効な情報が何らもたらされていなかった時代が非常に長く続いていたと思います。
ここにきてようやく、痴呆性高齢者介護にあたる側及び痴呆性高齢者本人にとって、望ましい介護の在り方ということに光が当たってきていると思います。今まで介護する側される側も非常に不遇な時代であった理由の一つとして、痴呆性患者の実態への理解と、正しい認識の広がりの圧倒的な不足にあったと思います。今痴呆性高齢者介護の現場で広く知られている通り、痴呆性患者というのは、情緒面において何ら発病前より劣化がみられるものではありません。また、1プラス1が2といった論理の能力が衰えてきても、例えば文学的思索様な論理もまた保たれたままです。
実際に、痴呆性高齢者自身が、自分がかつて出来たことが出来なくなっていることが苦痛に感じているのです。その状態に、しつこい注意やまして叱責が繰り返されれば、高齢者は委縮し病状も悪化するという悪循環が生まれます。表面の様子からは汲み取りにくい、痴呆性高齢者の豊かな心にいかに働きかけるかが、痴呆性高齢者介護の現場で臨まれることです。